| こんにちは ふるたみちよです |
| プロフィール |
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1948年 阿南市加茂町に生まれる |
| 手記「女性の声・住民の声を県政へ」 |
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日本共産党県議会議員 ふるた みちよ みかん農家に生まれ県議会に送り出していただいて、はや4年になります。私にとっては、まさに激動の4年間でした。 私は、1948年(昭和23年)8月18日に阿南市加茂町で、父・西山直一、母・キヌエの6人兄弟の末っ子として生まれました。小さなみかん農家でした。 那賀川中流の自然豊かな中で育ちました。みかんの採り入れ時には、家族みんなで働き、働く喜び、労働の大切さを教えられました。 小中学校では走ることが得意で、富岡西高校では、音体部と山岳部に所属しました。 貧しいみかん農家で、大学に進学できたのは末っ子の私だけでした。父母と兄夫婦が専業農家として生計を支えてくれていました。しかし、オレンジ輸入自由化で大打撃をうけました。日本の農業をつぶす自民党政治に、本当に怒りを感じます。 日本共産党との出会い 高校を卒業して、徳島大学教育学部小学校課程に入学し、体育研究室に入りました。小さい時から小学校の先生になるのが夢でした。硬式テニス部で3年生の時に、中四国のインカレで優勝して全国大会に出場しました。 一方、徳島大学では学生自治会を設立する気運が高まり、クラスから私が準備委員として選出されました。このことが私の生き方を変える大きな転機になりました。 当時、東大をはじめ全国の大学で「大学紛争」が起こり、徳大でも「暴力学生」が大学を封鎖しました。こうした不当な暴力を許さず、大学の自治と学問の自由を守るために、2000名の全学集会を成功させました。学生と教官が一緒になって徳島駅までデモ行進した感動は忘れられません。 原水爆禁止の活動などに参加するなかで日本共産党を知りました。「暴力学生」を目のあたりにしてきた私は、どのような暴力にもきぜんと立ち向かう日本共産党の勇気と正義感に感動しました。戦前から侵略戦争反対に命をかけて、平和のためにたたかった歴史を知りました。私は、民主的な教師をめざして民主青年同盟に加盟し、その後日本共産党に入党しました。20歳の冬でした。 教壇に立って27年間 大学を卒業して、愛知県と東京で小学校の教員をして徳島にもどりました。阿南市の中野島小学校、徳島市の加茂名小学校で臨時教員をしました。不安定な臨時教員の生活を守るために私たちは、臨時教員の労働組合を結成しました。臨時教員のボーナス支給や年休などを実現しました。 その後、私は24歳から私立の生光学園小学校に就職して25年間つとめました。すべての子どもたちが、学ぶことの喜びを知り、学校が楽しくてたまらないと思える学校にしたいと願って教壇に立ってきました。 私立小学校で一クラスの人数が少ないこともあり、授業でわからない子どもには、個人学習をして基礎学力を身につけることを重視しました。夏の一泊学習、冬の音楽会などで、力を合わせればこんなにすばらしいことができると子どもたちの力に本当に感動させられました。 県議になったら教育を良くしたいと決意していましたので、議会で何度も取り上げました。この4月から小学校低学年から少人数学級が導入できることや、学校給食には地元産の食材を使うために検討が始まっていることは、公約実現の第一歩だと思います。 3人の子どもたち 24歳の時に、大学時代から6年間交際してきた夫と結婚しました。切迫流産で2回入院して、やっと長女が誕生した時は、本当に母親になることの大変さを感じました。 長女は和歌山で結婚をし、次女は徳島で派遣社員として、長男は千葉でレントゲン技師をしています。長い不況で、子ども全員が就職難でした。若者に希望を与えるためにもこの不況をなんとか解決しなければと痛感しています。 初孫の誕生 一昨年9月11日、長女に娘が誕生し、初孫ができました。家族が一人増えることのすばらしさ、新しい生命の誕生に感謝しました。当日の夜、アメリカで同時多発テロが起こり、あまりにも異常な光景に、次女と二人で降り立った港で立ちすくんでしまいました。 あれから1年4ヶ月、孫娘も大きく成長し、歩き回るようになりました。少子化の時代、すべての子ども達が平和で、愛情いっぱいにすくすくと育ってくれることを願っています。 県議に初当選 日本共産党の服部昭子さんが引退した後、県議会には女性議員がいなくなり、女性の声を届けるためにも県政に出てほしいと要請を受けました。悩やんだ末に、一大決意をして、27年間勤めた教員をやめました。49歳でした。 たくさんの方々から、熱いご支援をいただき、当選させていただきました。この4年間「一つでも多く県民の願い、女性の願いを議会へ届けよう」と心に決め、頑張ってまいりました。 この間、最も感動的だったのは、吉野川可動堰を白紙にさせたことと、昨年4月に大田知事を誕生させたことです。 感動の住民投票 私は、美しい吉野川に鉄とコンクリートの可動堰は、作らせてはならないと、県議会で何度も質問し、国会議員と一緒に国へ要請に行きました。又、「第十堰の可動堰化に反対する市民の会」の役員になり、署名運動などに全力で取り組みました。 住民投票は、投票率が50%を超えないと無効になり、開票もされないという条件付きでした。私たちは、市民と立ち上がり、「住民投票、123」が合い言葉になりました。 私は、「無駄な公共事業をやめさせ、吉野川の自然を守ろう」と街頭から必死で訴え続けました。 結果は投票率55%で、可動堰反対が92%でした。国の公共事業に対する初の住民投票は、ノーを突きつけ、日本と世界に発信されました。雪の中でプラカードを持った私たちの活動が勝利しなのです。国が可動堰計画の白紙決定をした時は、県議会の土木委員会で審議中でした。部長からその報告を聞いた時、飛び上がって喜びたい気持ちでした。今も吉野川は美しい流れを保ち、第十堰も健在です。 圓藤前知事への最後の質問者 昨年の2月議会の開会日、2月25日に全国紙の一面トップで「圓藤知事側に300万円」と報道されました。私たち県議団は、すぐ緊急質問を申し入れました。「天地神明に誓ってもらっていない」と言っていた圓藤知事でしたが、3月4日の私の一般質問に答えた後、東京地検に呼ばれ、その夜に逮捕されました。 私が、圓藤知事に対する最後の質問者になってしまいました。その時も、「報道されたことが悔しくて、悔しくて」と涙ながらに言っていました。あれはいったい何だったのでしょうか。 公共事業をゆがめて、自分の懐を肥やす汚職・腐敗政治に怒り、何とか政治を変えなければと痛感しました。 大田知事の誕生 昨年4月の出直し選挙で、共産党も推薦した大田さんが当選して、民主県政が誕生しました。無駄な大型公共事業の見直しと、汚職・利権構造をなくしたい県民の熱い思いが結集しての勝利でした。 新しい県政の流れ 県民の方を向いた大田民主県政が誕生して9ヶ月がすぎました。改革の第一歩が始まっています。 第1に、汚職・利権政治にメスが入り始めた点です。 第2に、十億円をこす大型公共事業にも、県内企業が受注できるなどの民主的改革が進んでいる点です。 第3に、情報公開と住民参加を貫いている点です。 マリンピア第二期工事でも民主的な討議が行なわれ、沖洲海岸の全面埋め立てではなく、部分埋め立て案が全会一致で決まりました。 第4に、今年4月から低学年に少人数学級を導入するなど教育に光を当てている点です。 かけぬけた四年間 多くのみなさんから大きなご支援をいただき県議会に送りだしていただいて、早くも4年になります。激動の4年間でした。ふり返ると無我夢中でかけむけた4年間だったようにも思います。 徳島市内はもちろん、相談があれば全県下どこでも現地に飛んでゆきました。東祖谷の三嶺ロープウエー問題、池田町の四国JTS工場の存続、木頭村の国道改良問題、日和佐の恵比須浜港の二期工事の中止、海南の砂利飛散問題、阿南の桑野川洪水問題、小松島の明石港整備の縮小、貞光や鳴門のゴミ問題で現地に足を運びました。 BSE問題で畜産農家の調査、ぼろぼろ校舎問題で学校ウオッチング、不況問題で商店の訪問、そごうのサービス残業の是正、NTTのリストラ問題の申し入れ、健祥会の労働条件改善、県幹部への女性登用、セクハラ問題なに取り組んできました。 相談事は多様で、初めてのことばかりで、一つひとつが勉強でした。 細川内ダム中止、吉野川の可動堰白紙、乳幼児医療の入院については6才未満児まで無料化、少人数学級の導入など私も主張してきたことが認められた時は本当にうれしかったです。県職員採用で特定職も公募するようになりました。学校の改築では地元業者の仕事をふやすことができました。みんなで力を合わせれば、政治を変えることができることを実感しました。 長引く不況の中で、仕事や雇用を守ってほしい、医療費や介護保険料などを引き下げてほしい、不公正な同和行政、同和教育は早く止めてほしいなど課題がいっぱいです。 県民の方を向いた大田県政の流れを太く大きく前進させるためにさらに頑張りたいと思います。 自衛官不審死事件で県警を追及 今では、阿南市福井町の自衛官不審死事件としてマスコミでも取り上げられている問題で、私が総務委員になった時「兄の死は自殺と思えないので真実を明らかにしてほしい」と総務委員全員にビデオとともに依頼が届きました。 県警の捜査に関することなので慎重にならざるをえませんでしたが、送られたビデオや依頼者の話を何度も聞くうちに、真相を明らかにしなければと議会で何度も県警を追及しました。 最近、妹さんが本を出版しました。その本には、他の県議が「選挙で忙しいからそんなん見る暇ない」と言われて絶望している時に、私から連絡があり信じられないほど勇気づけられたことが書かれています。妹さんの独自調査を参考に私は、県警の色々な矛盾点を鋭く追及しました。その本にも詳しく書いてくれています。 県警に対しては、この不審死事件とあわせて、圓藤前知事側から県議や首長に選挙資金が渡された圓藤マネー疑惑の捜査を強く求めています。 県議4議席をめざして 今、県議会では42名中、日本共産党は2議席です。4名にならないと全ての委員会に出席することができません。大田県政をささえるとともに、同和行政での利権構造をやめさせるためにも日本共産党の議席を増やすことが重要になっています。 今回のいっせい地方選挙は、住民本位の民主県政の新しい流れを発展させるのか、古い利権政治に逆戻りさせるのかが問われています。 小泉自民党内閣が国民いじめの政治をすすめているだけに、徳島県や長野県、高知県から地方政治で住民本位の新しい流れを太く大きくすることが今求められています。そのために、私も全力をつくす決意です。(2003年2月) |